Kenji Nakamura: Interview
「なんでもできなければ通用しない」
中村憲二(なかむらけんじ)
2025年1月17日
小豆島 土庄 ヨットの上にて
James Jack:中村ボースン(Boatswain、甲板長)、お名前と生年月日を教えてください。
中村憲二:名前は中村憲二。生年月日は昭和22年10月15日。小豆島土庄で生まれました。
Jack:ありがとうございます。あと一緒にいらっしゃる中村直也さんも、よければ自己紹介をお願いします。
中村直也:中村直也、昭和53年1978年12月31日生まれ。46歳。神奈川県横須賀市浦賀生まれです。
憲二:えっ?浦賀生まれ?わし、船員手帳の最初の交付が浦賀なんです。
直也:僕が幼稚園の頃、今の日本丸が浦賀の町で進水して、そのときの進水式を見て、船乗りになろうと思ったんです。
憲二:え〜、浦賀って懐かしい。今、浦賀って聞いてびっくりした。わし、一番最初に乗って入った造船所が浦賀なんです。浦賀で船員手帳を作って、そのまま出港していったんです。
Jack:初めて浦賀に行ったのはいつ頃ですか?
憲二:昭和39年。
Jack:60年代?
憲二:1964年。
Jack:オリンピックの年だ。
憲二:そう。オリンピックの年の3月25日に東京に出ました。
Jack:どんな経験でした?
憲二:その時は、航海訓練所は農林水産省にあったんです。運輸省じゃなかったんです。農林水産省の中に航海訓練所というのがあって、あの時に6人か7人いたんだけど、その同期の中で「中村さんは最初、日本丸に乗って、すぐアメリカに行ってもらいます」って言われたのが印象に残っています。
Jack:アメリカのどこですか?
憲二:ポートランド。オレゴン州。
Jack:オレゴンね。
直也:川をのぼるんですか?
憲二:そう。コロンビア川をのぼる。
直也:結構な数の橋をくぐって?
憲二:はい。
Jack:へえ。日本丸で?
憲二:日本丸です。横浜のランドマークタワーの前に繋がれてる。だから、あそこの造船所もよく入りましたよ。
直也:横浜の造船所ですか?三菱ですね。
憲二:今は、もう変わってますけど、三菱だったですね。
Jack:横須賀からポートランドまでどのくらいの日数かかるんですか?
憲二:それは横須賀からじゃなくて、東京からですけどね。あの頃は、東京湾で帆走の練習するんだけど、なぜか一週間くらいしかやらないんです。
直也:初期導入を?
憲二:うん、あの初期導入っていうか、今でこそ東京灯標でしょ。灯標じゃなくて灯船だったんです。
直也:ライトビーコンじゃなくて、ライトベッセルってことだよね。
憲二:そう、そう、ベッセルだったんですけど、横にTOKYOって書いてありました。そこから、千葉の方へ向いて2時間くらい帆走するんです。それを一週間くらいやって、もうそれで終わりです。それでいきなり遠洋航海です。
Jack:ずっと太平洋だね。
直也:学生も乗ったばっかりで。
憲二:うん。学生の人たちは、3ヶ月くらいで全部ギア(ロープ)の名前を覚えてもらわないといけないんだけど、わしはあの時、ギアを覚えるのに半年かかりました。
直也:学生は、国内航海で3ヶ月くらい乗ってるわけですか?
憲二:そう、大学生ですからね。
直也:それをやってから遠洋航海?
憲二:そうそう。
直也:ボースン(甲板長の意。この場合は中村憲二さんの愛称)は、一週間くらいで日本丸に乗った?
憲二:そう、一週間くらい。だけどもうマストにも登れませんでした。怖くて。
Jack:怖いよね。
直也:帆船だったら水面から50メートルくらいある。
憲二:怖くて登れませんでした。ボースンになったら、そんなこと言うとられません。(笑)それで、丸3年で転船したんだけど、一緒に乗ってた仲間には、3年で転船するのはまだ早いって言われました。中には5年くらいいた人もおりました。
直也:帆船は、日本丸と海王丸だけで、あとはモーター船だったので、やはり初めから帆船に就職して、すぐ乗るってことはそんなにないですよね。
憲二:そう。まず、そういうことはあり得ないんだけど、それも岸壁で乗る乗船じゃないんですよ。当時は7隻錨(いかり)入れてますから、1隻も岸壁についてる船はないんですよ。交通艇で沖に行って、1隻ずつ沖でその船に乗っていくもんだから、沖で1時間くらいかかるわけですよ。
まさか自分がその交通艇の艇長をやるときがくるとは夢にも思いませんでした。
Jack:何か航海中の思い出はありますか?
憲二:あります。あります。いろいろあります。
Jack:太平洋を渡ったときはどうでした?
憲二:盲腸患者が出て、乗ってたドクターが盲腸の手術の好きな人で、5人くらい盲腸手術をやって、わしら手伝いをさせられたことあります。要は看護師替わりですよ。
Jack:何でもしないといけないね。
憲二:そうかと思ったら、あれは、やっぱり帆船だったな。海王丸でサンフランシスコに入る前かな、賄いの人が飛び込んだんですよ。
わしらウェールデッキで、実習生と一緒に朝9時過ぎからハンドレールを石で擦ってたんですよ。朝ご飯終わってから賄いの若い人が第一教室から出てきたなと思ってたら、ごちゃごちゃごちゃごちゃ喋って、キャプテンにロサンゼルスへ行ってくれって言い出した。
キャプテンが、その時のキャプテン誰だったか忘れたけど、ああいいよ、ロサンゼルスに向けたよって言ったんだわ。でも、コースが変わってないもんだから怒り出して、反対からドーンと走っていったと思ったら反対側に飛び込んでいって。そうしたら船長が、すぐ落ちた方向へ向きを変えて、救助艇用意ですね。死んだ坂本さんと二人で5号艇にすっ飛んで行って引き上げたけど、水飲んでるもんだから重くて重くて。
直也:航海は一ヶ月ですか?
憲二:いや、そんなもんじゃないですよ。当時はサンフランシスコまで42日です。
わし、飯運びいうか、ボーイ長やってたもんだから、一ヶ月経った時に初めて乗った船でしょ。一ヶ月経った時に、日付変更線を越えて十日ぐらいしてからかな?アメリカという国はあるんだろうかと思ったんですよ。いやほんとそういう状況で日本丸乗ってたんだけど。それと船酔いに泣かされましたよ。
そんなこんなで一番最初、アストリアっていう港がコロンビア川の入り口にあるんだけど、そこへ一晩泊まって、あくる日の夕方にコロンビア川を上がって行ったんだよ。
それで、ポートランドまで行って、朝に入港するんだけど、あの時にポートランドでセールドリル(帆をはる訓練)をやったんですよ。そうしたところ、セーラーヘッドがそのセールドリルの時にアッパートップのヤード(帆をはるための横木)をゆるめよって、ゆるめるどころじゃなくてドーンと落しちゃったんだ。だけどリフトがあるもんだから持ち堪えられたんだけど。物を壊すのかってボースンに怒られとった。
そんなこんなで色々ありましたね。そうかと思ったらホノルルから日本丸と海王丸が一緒に出航して、ダイヤモンドヘッドのところから帆走の
まま西に向いて走ったこともあります。
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Puzzle – boats
1,000ピースか2,000ピースかよく覚えてないんだけど、パズルでその写真があるんですよ。
それがものすごく綺麗な帆船のパズルだから、その次の航海の時は、ウェルデッキで広げて、みんなそのパズルを触って、はめていってましたよ。夕方は退屈なもんだから、やるわけですよ。
Jack:あと、帰りはどうでした?オレゴン行きは初めての長い航海ですよね。
憲二:42日、走るでしょ。次は、アメリカからハワイまで25日かかるわけですよ。いずれも1週間くらい向こうにいるんですけど、ハワイを出たらやっぱり1ヶ月かかる。
Jack:途中でハワイに滞在して?
憲二:ハワイも1週間くらいいるんですけど、キャプテンが疲れただろうから帆走はしない、あくる日から帆走するって言ってくれるのが楽しみでね。
そうかと思ったら、出たらすぐにダイヤモンドヘッドでセール広げるっていうキャプテンがおるわけですよ。そういうイベントがなければいいのになぁなんて話しおった。(笑)
直也:やはり、セーリングていうのは結構大変で。ワッチ(当直)を4時間やって、その当直中にギア、ロープを引っ張ったり、セール広げたり、畳んだりしないといけないのね。常に風が吹いててそれを片方で行って。それを42日もやったらね。精神的に、やはり...
憲二:そう。キャプテンの気分次第でロープ引かすんですよ。
直也:タッキング(艇を風上に向けながら風を受ける舷を変えること)とかジャイブ(タッキングと逆の操作)するときは、夜だろうが朝だろうが総員でデッキに出てやりますからね。
憲二:そうかと思ったら、夜中にマストに登って、セイル畳まなきゃいかん時もあるんですよ。もう、ゴーゴーいってる時がありましたね。
Jack:帰りは東京経由?小豆島にも帰ってこれたんですか?
憲二:国内回りの時にね。それこそ、キャプテンが住んでる目の前(小豆島内海湾)に錨入れた時に、交通艇だして小豆島に帰らしてくれたんですよ。泊まりも当時はオッケーだったんです。ある時期からダメになったんだけど。
直也:当時は、休みなんて年に一ヶ月あるんですか?
憲二:42日です。全部バラバラで集めたやつが42日だったんです。だから、遠洋航海に出る前に1週間、航海から帰ってきて1週間で、もう2週間でしょ。そういう感じで3回か4回ありまして、年間で42日で終わりだったんです。
直也:そんな2週間くらいで毎回帰ってきてましたか?
憲二:うん、帰ってきました。お金はかかるけど、1週間でも喜んで小豆島に帰ってきましたよ。
直也:今は、船員の働き方改革があって、しっかりと休みを取りましょうって、年間108日と祝日が休みなんですね。
憲二:今は、休みがどうこうって言うよりも、ほとんど岸壁についてるでしょ。あれが不思議でならんです。今、思ったら沖にいれるのは、キャプテンが楽するためです。沖にいれてりゃ誰も上陸しないわ、安全だわという感じで、時化てきて、台風が来るといったら、タグボードで帰ってくるんだから。
直也:当時は、ひっきりなしに一般商船とかいっぱい入ってたんで、あんまりつける港がなかったですね。沖にいれて、乗組員は、専用の交通艇で休暇の時に乗り降りしてて。今では、港につけて、みんな休みをとるっていう。
憲二:今はもうね、入港いうたら岸壁ですね。
Jack:なるほど。たくさんの思い出を聞かせていただきありがとうございます。私たちには、ひとつ目的があるんです。
1. FIRST
Jack:私は、広島で活動している古堅太郎と一緒に、3年間かけて物の再利用について研究しています。こういうボースンさんが使われている古い物、この船もそうかもしれないし、クラブとか、いつも物の再利用がすごいお上手なので、それについてのインタビューもしたいと思ってます。
これまでにも、私たち2人で様々な人に、アップサイクリングについてインタビューさせてもらっています。リサイクルは横のつながりで物を再利用します。ゴミはだいたいダウンサイクリングで、物の価値を下げること。アップサイクリングっていうのは、古い物とかみんながいらない物を再利用することで価値を上げることです。
憲二:そうなんだ。リサイクルでもいろいろあるんだ。
Jack:そう、上下とか横とか。それで、アップサイクリングについて私たちは芸術作品も作っていて、古いヨットの帆を使ったり、紫キャベツとかくるみとかいろんな野菜を使って絹を染めたりしてます。それから、作品制作だけじゃなくて、いろんな人のインタビューを聞くこともしています。、例えば、本の再利用をしている私の研究室の卒業生へのインタビューも行っています。
ロープワークもそうですし、古いものはゴミじゃなくて、違う価値があるということで、ボースンさんからも、ぜひいろいろ聞かせていただきたいです。今もせっかく船に乗ってますので、物の再利用についてとか、ある人にとっていらない物といる物の関係性とか。そういったことはいつ頃から意識していたんですか?
憲二:いる物、いらない物ってやっぱりボースンになってからかな。いや違う、次長になってからだ。次長になった頃から、やっぱり物のもったいなさって分かり始めたね。だから、物を大切にしろっていうことをよく言ってた。
Jack:きっかけとかありますか?
憲二:人に嫌がられてもいいから、物を大切にしろって言ってた。
直也:ボースンの前の職業は、セーラーから始まって、セーラーからクォーターマスターになって、その次はデッキストアキーパー。それをストーキーマンって言ってたんですよ。デッキストアキーパーだから物の管理。船の物の管理をするんです。
憲二:物の管理をするようになってから厳しくなったっていうのかな。
直也:ロープ一本にしても...
憲二:そう、もったいないっていう気持ちは
直也:だからそういう物をしっかりと管理する。道具一つにしてもロープ一本にしてもっていうのは、それがデッキストアキーパーという...
直也:多分、デッキストアキーパーが次長なんですね。
憲二:そういう考えになったのは次長になってからだったね。セーラーの頃はイケイケだったから、そんなこと考えてない。
Jack:具体的にどんな材料とかどんな物とかを大事にするようになりました?
憲二:例えば、余ったセイルの生地やロープの余りをどういう風にして使うかとか。ロープの処理にずいぶん悩んだこともあります。古いロープを今までの人はどういう風にして処理しとったんだろうかとか。
直也:ロープを買うとき、ワンコイルって200mあるんです。例えば、メインシートは80数mと決まってるんで、切ると残りがあるじゃないですか。それをどういう風に余すことなく使うかって考えて注文する。
憲二:無駄な注文をしてもお金がかかるからね。注文しても2等航海士に、そんなの要りますかって言われることが多かった。
直也:セイルをシーミング(接合)するときも、帆布を買って作るんですけど、その切れ端を形に合わせて切っていくと無駄な部分でしょう。
憲二:だから、迂闊に自分の発想だけで注文はできない。
![PHOTO of sail boat]()
直也:そういう感覚になるかもしれませんね。
Jack:今、この場にある材料も、何か再利用しているものはありますか?この船自体もそうかもしれないし、コンパスとか、今ここで見えているもので、何か自分で付けたものの思い出とかありますか?
憲二ああ、難しい言うたら、この上の旗のラインをどのようにして付けようかって悩んだことがあった。上には上がれないし、下から取り付けようとするとどういう風に細工をしたらあの滑車を上に持っていけるかっていうのを考えましたね。そしたら、そのボートフックで、今の状態からずっと引っ張ってやれば下へ降りてくるんです。
直也:このネットなんかもボースンが編んでるんですか?
![PHOTO of NET]()
憲二:どれですか?はい、その通りです。あれは自分がディンギー(小型ヨット)に乗っとって、セイルとマスト持って上がろうとした時にヨロヨロヨロとしたから、これはいかんと。編んどおかないと落ちる可能性がある。
Jack:みんな持ってないもんね。他の船にはなくて、ボースンの船だけ。手作りで、すごいね。
PHOTO of FLAG
憲二:子供が落ちた時にこれがあったら安心。
Jack:確かに。
直也:大型のギャングウェイのところにはネットがあるようになっている
憲二:これができる人は少ないですよ。
Jack:あれは余ったロープですか?
憲二:いや、あれは新しいロープ使ってます。ジェームズさんがよく言う、例のマットもあります。
Jack:あっ、ナポレオンマット。綺麗だな。これ3本だね。
PHOTO of Napoleon MATT
憲二:4本だよ。
Jack:あれっ、4本?
憲二:4本4本の横2つ。これは、三重なんだけど四重でやるようにすると綺麗になる。
![PHOTO of UPCYCLED plastic bottle roped boat bumper]()
憲二:これ、横に出ているやつはペットボトルです。
直也:フェンダーね。
憲二:ペットボトルのまわりをロープで編んである。
Jack:あれは、ペットボトルからできてる?手作りで綺麗だね。
憲二:うん。この手でね。
Jack:ちゃんと空気がフェンダーになるように?
憲二:いや、水入れるんです。水入れといて、それでここからこういう風に編んで。
Jack:ペットボトルからこうなる。面白いなあ。
憲二:ペットボトルからこういう風になる。
Jack:これ、すごいな。プラスティックも無駄にせずに。
PHOTO of SEOUL two rounds
![PHOTO of SEOUL two rounds]()
Jack:最近は、こういう物の再利用についての意識が、アジアの国々の中でも結構高まってきてます。韓国では、ゴミ収集所の近くに物の再利用の企業のための場所ができたり、古いものを大事にしてします。自転車にしても、金属をいろんなものへ再利用するとか、そういう動きがあるんです。
憲二:自転車で思い出したけど、うちに5台自転車があるんだ。全部修理してる。
Jack:本当?偉いね。
憲二:フッフッ。パンク修理の専門家だわ。でもね、今思ったらね、練習船が自転車の修理をさせてくれた。何でか言うとね。夜間当直中は、あっちこっち行かないで舷門に立ってるでしょ。舷門で座り込んで、自転車のパンク修理してると、あっという間に4時間すぎてる。昼間はそういうわけにいかんけど、夜は、人が出入りするのを見とくときに自転車のパンク修理してたら、非常に時間を有効に使えた。
Jack:そう、私も船に乗ってるときは、そういう直すことをやってるよ。空いた時間に手を動かすと温まるし楽しいし、結構頭使うんですよね。なんか、ぼーっとして時間を無駄にするよりも全然いい。こういう物の再利用は、物だけじゃなくて人にとっても良い。
例えば、古い物を捨てたら、ダイソーへ行って100円で買っちゃうけど、人にとってもつまらないことです。こうやって手を動かして、意識して時間を無駄にしないことが、すごい意味あることだなぁと思いました。
憲二:そうそう。船に乗った若い頃から血圧が高かったんですよ。これは、もう長生きせんなと思うとったんだけど、帆船に乗って上に上がったり運動するでしょ。血圧は高いなりにも疲れるもんだからいいわけですよ。それで、機船に行った時に、機船じゃどうも太ってしまうから帆船に帰してくれって頼んだからね。
Jack:帆船の方が筋肉を使うんだね。
憲二:そういうこと。なんか、もう太ってきたら帆船に帰してくれって言った記憶がある。だから未だにこうやって元気でおれるかも。
Jack:すごいね。それで健康になったでしょ。
憲二:そうそう。2ヶ月に1回、診療所にかかって、採血してカウントするんだけど、その時に言われましたもん。どうやったらこういう結果になるんですかって?もしかしたら運動するからじゃないですかって言ったことがある。
Jack:いやー、確かに。運動しないとどんどん体が…
憲二:ドブチ海峡を越えて、アズキジマ(小豆島)を回って帰ってくると、ちょうどいいんです。1時間半くらい。健康のために非常にいいんです。
Jack:大事ですね。面白いですね。
憲二:ほんで、ツバのところが壊れて、結局これのやりすぎで壊れてしまって、今、修理に1本出してるんです。どなんしたらこんなにあるんですかって言われた。
Jack:へー。どのへんを修理したんですか?
憲二:クラッチって、オールの支点になるところ。あれが壊れてるんですよ。経年劣化もあるんだけど、こうやって漕いでるうちに、割れちゃったんですよ。
直也:あ、そうか。これ2人で漕げれるんですね。
憲二:そう、2人で漕げれるように細工したんです。だけど、3人乗れるんだわ。一番後ろに人を座らせといて。
直也:そうですね。でも、オールを持つ人はいないから、一人で漕いだら大変ですよね。
憲二:1人で漕ぐときは、梶(かじ)を出さずに後ろで漕ぐ。
直也:梶はいらない?
憲二:うん、いらない。
Jack:元々、救助艇ですか?
憲二:いや、ヨットですよ。
Jack:ヨット?
憲二:ディンギーのヨットですよ。競争艇ですよ。
Jack:競争のための?
憲二:うん。
PHOTO of DINGHEY
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直也:へー。セイルは、ジブ(補助セイル)もあるんですか?
憲二:ジブはない。ディンギーだから1枚だけ。で、ビレイピン(ロープを巻きつけて固定する棒状の器具)もある。右の方にブライドルを取って、左はハリヤード。
直也:かっこいい、これ。
憲二:それはハリヤードです。それはティラーです。その足元にラダーがある。
Jack:ラダーもすごいかっこいい。これも木だ。
憲二:そうそう、木。
直也:全部揃ってたんですか?
憲二:いや、なかった。
直也:なかった?うん?
憲二:クラッチもなかったし、もうほとんどなかったんだ。
直也:全部。
憲二:うん。
直也:あっ、でもそこは?
憲二:その金具もなかった。
PHOTO of DINGHEY
直也:水漏れしてなかったんですか?
憲二:いや、水漏れが、もう強烈だった。スロープに引き上げて、ひっくり返して、シリコンで埋めていった。そうすると、あとはもう浮力で埋めてくれるから。もしも流されたときに困るからと思って、チャートもそこに入ってる。コンパスも。
直也:あっ、その筒にチャートが入ってるんですか?
憲二:うん。
直也:どこに?
憲二:チャートとコンパス、ここのチャートが入ってる。
直也:どこにその筒が?
憲二:その下。
Jack:そこか。えらいなあ。
憲二:そう、その中にチャートとコンパスが入ってるでしょ。流されても大丈夫なんよ。
PHOTO of DINGHEY
直也:オーニング(ボートを覆うカバー)は自分で作ったんですね。
憲二:そう、オーニングは自分で作った。大雨降ったら面倒だからオーニングしとけと思って。
Jack:雨が降ったら、下の水はどうするの?
憲二:雨が入ってるでしょ?後ろに座り込んで、バケツで水を取るんだ。その横に、ベラみたいのがあるでしょ?こっちの右側に白いやつが。缶を切って、細工してるのがあるでしょ?それで水をバケツに入れて捨てるんです。
Jack:これも手作りだなあ。
憲二:手作り、手作り。
Jack:昔の梶は丸いのね。
憲二:そうそう。なんでこうなってるか言ったらね。風のない時にこうやってチラーを動かすと前に進んでくれる。オール代わりになるんだ。だからそういう作りになってる。
Jack:いいね。もらったときはもう浮かない状態だった?
憲二:そうそう、ひどかった。もう水が強烈に入ってきようた。うちのお母ちゃんは埼玉の人間だから、たまたま関東へ行く時に、ちょっと西宮で降りて、ヨットハーバー寄った時に、帰りに好きなものがあったら言ってくださいと言われて。帰りにも寄ったんだわ。
これが気に入ったからって、持ってきてくれって言ったんだけど、向こうで上がってた時はスロープにひっくり返して置いてあったんだ。まさか水が漏れてるとは思わんかった。
Jack:しばらく使ってなかったかな。
憲二:そうだろうと思う。
直也:乾燥しちゃって。
憲二:そうそう。鎧のとこから水がものすごく入ってきよった。
Jack:その後で、ペンキ塗り直したんだ?
憲二:そう、全部塗り直したんだ。名前は、こんな名前じゃなかったけど、わしが「海王」にするには誰も文句言わんじゃろうと思って役場登録を海王にしてもらった。
Jack:梶もその下に入る?
憲二:あるよ。ツメがあるでしょ。舵もあってそこへ差し込めるでしょ。センターボードは、そこで前のロープを緩めたらスーッと降りてくる。今は、ひょっとしたら動かんかもしれん。練習艇か競技艇だったんだわ。ただこのボート一つしか残ってなかった。
Jack:外では雨が降って腐りやすい?
憲二:腐りやすい。特に木は。
Jack:向こうのやつ、港の目の前に木舟が置いてある。
よるいバリ(船)けいやき very rare
Jack:かっこいいですよ。ちょっと長いぐらい。
憲二:もうちょっと長くて、前が高い方が本当の昔のディンギーなんです。
Jack:きれい。友達がそこで測ってみて調べてるけどもう一回使おうと思う。
もう一個だけ聞いていいですか?次の世代に、物の再利用について、例えばノアくんとかマホちゃんにどんなことを伝えたいですか?
憲二:次の世代っていうよりも、なんていうのかな。安心・安全な時代にしてほしい。要は戦争をやってほしくない。まあ、わしらが言っても元に戻るわけじゃないけど、戦争っていうのは、もう、みなぶち壊してしまうもん。だから戦争はやめましょう。
謝辞
古谷 美穂子
花岡美優
谷口創太郎
中村憲二:名前は中村憲二。生年月日は昭和22年10月15日。小豆島土庄で生まれました。
Jack:ありがとうございます。あと一緒にいらっしゃる中村直也さんも、よければ自己紹介をお願いします。
中村直也:中村直也、昭和53年1978年12月31日生まれ。46歳。神奈川県横須賀市浦賀生まれです。
憲二:えっ?浦賀生まれ?わし、船員手帳の最初の交付が浦賀なんです。
直也:僕が幼稚園の頃、今の日本丸が浦賀の町で進水して、そのときの進水式を見て、船乗りになろうと思ったんです。
憲二:え〜、浦賀って懐かしい。今、浦賀って聞いてびっくりした。わし、一番最初に乗って入った造船所が浦賀なんです。浦賀で船員手帳を作って、そのまま出港していったんです。
Jack:初めて浦賀に行ったのはいつ頃ですか?
憲二:昭和39年。
Jack:60年代?
憲二:1964年。
Jack:オリンピックの年だ。
憲二:そう。オリンピックの年の3月25日に東京に出ました。
Jack:どんな経験でした?
憲二:その時は、航海訓練所は農林水産省にあったんです。運輸省じゃなかったんです。農林水産省の中に航海訓練所というのがあって、あの時に6人か7人いたんだけど、その同期の中で「中村さんは最初、日本丸に乗って、すぐアメリカに行ってもらいます」って言われたのが印象に残っています。
Jack:アメリカのどこですか?
憲二:ポートランド。オレゴン州。
Jack:オレゴンね。
直也:川をのぼるんですか?
憲二:そう。コロンビア川をのぼる。
直也:結構な数の橋をくぐって?
憲二:はい。
Jack:へえ。日本丸で?
憲二:日本丸です。横浜のランドマークタワーの前に繋がれてる。だから、あそこの造船所もよく入りましたよ。
直也:横浜の造船所ですか?三菱ですね。
憲二:今は、もう変わってますけど、三菱だったですね。
Jack:横須賀からポートランドまでどのくらいの日数かかるんですか?
憲二:それは横須賀からじゃなくて、東京からですけどね。あの頃は、東京湾で帆走の練習するんだけど、なぜか一週間くらいしかやらないんです。
直也:初期導入を?
憲二:うん、あの初期導入っていうか、今でこそ東京灯標でしょ。灯標じゃなくて灯船だったんです。
直也:ライトビーコンじゃなくて、ライトベッセルってことだよね。
憲二:そう、そう、ベッセルだったんですけど、横にTOKYOって書いてありました。そこから、千葉の方へ向いて2時間くらい帆走するんです。それを一週間くらいやって、もうそれで終わりです。それでいきなり遠洋航海です。
Jack:ずっと太平洋だね。
直也:学生も乗ったばっかりで。
憲二:うん。学生の人たちは、3ヶ月くらいで全部ギア(ロープ)の名前を覚えてもらわないといけないんだけど、わしはあの時、ギアを覚えるのに半年かかりました。
直也:学生は、国内航海で3ヶ月くらい乗ってるわけですか?
憲二:そう、大学生ですからね。
直也:それをやってから遠洋航海?
憲二:そうそう。
直也:ボースン(甲板長の意。この場合は中村憲二さんの愛称)は、一週間くらいで日本丸に乗った?
憲二:そう、一週間くらい。だけどもうマストにも登れませんでした。怖くて。
Jack:怖いよね。
直也:帆船だったら水面から50メートルくらいある。
憲二:怖くて登れませんでした。ボースンになったら、そんなこと言うとられません。(笑)それで、丸3年で転船したんだけど、一緒に乗ってた仲間には、3年で転船するのはまだ早いって言われました。中には5年くらいいた人もおりました。
直也:帆船は、日本丸と海王丸だけで、あとはモーター船だったので、やはり初めから帆船に就職して、すぐ乗るってことはそんなにないですよね。
憲二:そう。まず、そういうことはあり得ないんだけど、それも岸壁で乗る乗船じゃないんですよ。当時は7隻錨(いかり)入れてますから、1隻も岸壁についてる船はないんですよ。交通艇で沖に行って、1隻ずつ沖でその船に乗っていくもんだから、沖で1時間くらいかかるわけですよ。
『なんでもできなければ通用しない』
まさか自分がその交通艇の艇長をやるときがくるとは夢にも思いませんでした。
Jack:何か航海中の思い出はありますか?
憲二:あります。あります。いろいろあります。
Jack:太平洋を渡ったときはどうでした?
憲二:盲腸患者が出て、乗ってたドクターが盲腸の手術の好きな人で、5人くらい盲腸手術をやって、わしら手伝いをさせられたことあります。要は看護師替わりですよ。
Jack:何でもしないといけないね。
憲二:そうかと思ったら、あれは、やっぱり帆船だったな。海王丸でサンフランシスコに入る前かな、賄いの人が飛び込んだんですよ。
わしらウェールデッキで、実習生と一緒に朝9時過ぎからハンドレールを石で擦ってたんですよ。朝ご飯終わってから賄いの若い人が第一教室から出てきたなと思ってたら、ごちゃごちゃごちゃごちゃ喋って、キャプテンにロサンゼルスへ行ってくれって言い出した。
キャプテンが、その時のキャプテン誰だったか忘れたけど、ああいいよ、ロサンゼルスに向けたよって言ったんだわ。でも、コースが変わってないもんだから怒り出して、反対からドーンと走っていったと思ったら反対側に飛び込んでいって。そうしたら船長が、すぐ落ちた方向へ向きを変えて、救助艇用意ですね。死んだ坂本さんと二人で5号艇にすっ飛んで行って引き上げたけど、水飲んでるもんだから重くて重くて。
直也:航海は一ヶ月ですか?
憲二:いや、そんなもんじゃないですよ。当時はサンフランシスコまで42日です。
わし、飯運びいうか、ボーイ長やってたもんだから、一ヶ月経った時に初めて乗った船でしょ。一ヶ月経った時に、日付変更線を越えて十日ぐらいしてからかな?アメリカという国はあるんだろうかと思ったんですよ。いやほんとそういう状況で日本丸乗ってたんだけど。それと船酔いに泣かされましたよ。
そんなこんなで一番最初、アストリアっていう港がコロンビア川の入り口にあるんだけど、そこへ一晩泊まって、あくる日の夕方にコロンビア川を上がって行ったんだよ。
それで、ポートランドまで行って、朝に入港するんだけど、あの時にポートランドでセールドリル(帆をはる訓練)をやったんですよ。そうしたところ、セーラーヘッドがそのセールドリルの時にアッパートップのヤード(帆をはるための横木)をゆるめよって、ゆるめるどころじゃなくてドーンと落しちゃったんだ。だけどリフトがあるもんだから持ち堪えられたんだけど。物を壊すのかってボースンに怒られとった。
そんなこんなで色々ありましたね。そうかと思ったらホノルルから日本丸と海王丸が一緒に出航して、ダイヤモンドヘッドのところから帆走の
まま西に向いて走ったこともあります。

Puzzle – boats
1,000ピースか2,000ピースかよく覚えてないんだけど、パズルでその写真があるんですよ。
それがものすごく綺麗な帆船のパズルだから、その次の航海の時は、ウェルデッキで広げて、みんなそのパズルを触って、はめていってましたよ。夕方は退屈なもんだから、やるわけですよ。
Jack:あと、帰りはどうでした?オレゴン行きは初めての長い航海ですよね。
憲二:42日、走るでしょ。次は、アメリカからハワイまで25日かかるわけですよ。いずれも1週間くらい向こうにいるんですけど、ハワイを出たらやっぱり1ヶ月かかる。
Jack:途中でハワイに滞在して?
憲二:ハワイも1週間くらいいるんですけど、キャプテンが疲れただろうから帆走はしない、あくる日から帆走するって言ってくれるのが楽しみでね。
そうかと思ったら、出たらすぐにダイヤモンドヘッドでセール広げるっていうキャプテンがおるわけですよ。そういうイベントがなければいいのになぁなんて話しおった。(笑)
直也:やはり、セーリングていうのは結構大変で。ワッチ(当直)を4時間やって、その当直中にギア、ロープを引っ張ったり、セール広げたり、畳んだりしないといけないのね。常に風が吹いててそれを片方で行って。それを42日もやったらね。精神的に、やはり...
憲二:そう。キャプテンの気分次第でロープ引かすんですよ。
直也:タッキング(艇を風上に向けながら風を受ける舷を変えること)とかジャイブ(タッキングと逆の操作)するときは、夜だろうが朝だろうが総員でデッキに出てやりますからね。
憲二:そうかと思ったら、夜中にマストに登って、セイル畳まなきゃいかん時もあるんですよ。もう、ゴーゴーいってる時がありましたね。
Jack:帰りは東京経由?小豆島にも帰ってこれたんですか?
憲二:国内回りの時にね。それこそ、キャプテンが住んでる目の前(小豆島内海湾)に錨入れた時に、交通艇だして小豆島に帰らしてくれたんですよ。泊まりも当時はオッケーだったんです。ある時期からダメになったんだけど。
直也:当時は、休みなんて年に一ヶ月あるんですか?
憲二:42日です。全部バラバラで集めたやつが42日だったんです。だから、遠洋航海に出る前に1週間、航海から帰ってきて1週間で、もう2週間でしょ。そういう感じで3回か4回ありまして、年間で42日で終わりだったんです。
直也:そんな2週間くらいで毎回帰ってきてましたか?
憲二:うん、帰ってきました。お金はかかるけど、1週間でも喜んで小豆島に帰ってきましたよ。
直也:今は、船員の働き方改革があって、しっかりと休みを取りましょうって、年間108日と祝日が休みなんですね。
憲二:今は、休みがどうこうって言うよりも、ほとんど岸壁についてるでしょ。あれが不思議でならんです。今、思ったら沖にいれるのは、キャプテンが楽するためです。沖にいれてりゃ誰も上陸しないわ、安全だわという感じで、時化てきて、台風が来るといったら、タグボードで帰ってくるんだから。
直也:当時は、ひっきりなしに一般商船とかいっぱい入ってたんで、あんまりつける港がなかったですね。沖にいれて、乗組員は、専用の交通艇で休暇の時に乗り降りしてて。今では、港につけて、みんな休みをとるっていう。
憲二:今はもうね、入港いうたら岸壁ですね。
Jack:なるほど。たくさんの思い出を聞かせていただきありがとうございます。私たちには、ひとつ目的があるんです。
1. FIRST
『ものを大切に再利用する』
Jack:私は、広島で活動している古堅太郎と一緒に、3年間かけて物の再利用について研究しています。こういうボースンさんが使われている古い物、この船もそうかもしれないし、クラブとか、いつも物の再利用がすごいお上手なので、それについてのインタビューもしたいと思ってます。
これまでにも、私たち2人で様々な人に、アップサイクリングについてインタビューさせてもらっています。リサイクルは横のつながりで物を再利用します。ゴミはだいたいダウンサイクリングで、物の価値を下げること。アップサイクリングっていうのは、古い物とかみんながいらない物を再利用することで価値を上げることです。
憲二:そうなんだ。リサイクルでもいろいろあるんだ。
Jack:そう、上下とか横とか。それで、アップサイクリングについて私たちは芸術作品も作っていて、古いヨットの帆を使ったり、紫キャベツとかくるみとかいろんな野菜を使って絹を染めたりしてます。それから、作品制作だけじゃなくて、いろんな人のインタビューを聞くこともしています。、例えば、本の再利用をしている私の研究室の卒業生へのインタビューも行っています。
ロープワークもそうですし、古いものはゴミじゃなくて、違う価値があるということで、ボースンさんからも、ぜひいろいろ聞かせていただきたいです。今もせっかく船に乗ってますので、物の再利用についてとか、ある人にとっていらない物といる物の関係性とか。そういったことはいつ頃から意識していたんですか?
憲二:いる物、いらない物ってやっぱりボースンになってからかな。いや違う、次長になってからだ。次長になった頃から、やっぱり物のもったいなさって分かり始めたね。だから、物を大切にしろっていうことをよく言ってた。
Jack:きっかけとかありますか?
憲二:人に嫌がられてもいいから、物を大切にしろって言ってた。
直也:ボースンの前の職業は、セーラーから始まって、セーラーからクォーターマスターになって、その次はデッキストアキーパー。それをストーキーマンって言ってたんですよ。デッキストアキーパーだから物の管理。船の物の管理をするんです。
憲二:物の管理をするようになってから厳しくなったっていうのかな。
直也:ロープ一本にしても...
憲二:そう、もったいないっていう気持ちは
直也:だからそういう物をしっかりと管理する。道具一つにしてもロープ一本にしてもっていうのは、それがデッキストアキーパーという...
直也:多分、デッキストアキーパーが次長なんですね。
憲二:そういう考えになったのは次長になってからだったね。セーラーの頃はイケイケだったから、そんなこと考えてない。
Jack:具体的にどんな材料とかどんな物とかを大事にするようになりました?
憲二:例えば、余ったセイルの生地やロープの余りをどういう風にして使うかとか。ロープの処理にずいぶん悩んだこともあります。古いロープを今までの人はどういう風にして処理しとったんだろうかとか。
直也:ロープを買うとき、ワンコイルって200mあるんです。例えば、メインシートは80数mと決まってるんで、切ると残りがあるじゃないですか。それをどういう風に余すことなく使うかって考えて注文する。
憲二:無駄な注文をしてもお金がかかるからね。注文しても2等航海士に、そんなの要りますかって言われることが多かった。
直也:セイルをシーミング(接合)するときも、帆布を買って作るんですけど、その切れ端を形に合わせて切っていくと無駄な部分でしょう。
憲二:だから、迂闊に自分の発想だけで注文はできない。

直也:そういう感覚になるかもしれませんね。
Jack:今、この場にある材料も、何か再利用しているものはありますか?この船自体もそうかもしれないし、コンパスとか、今ここで見えているもので、何か自分で付けたものの思い出とかありますか?
憲二ああ、難しい言うたら、この上の旗のラインをどのようにして付けようかって悩んだことがあった。上には上がれないし、下から取り付けようとするとどういう風に細工をしたらあの滑車を上に持っていけるかっていうのを考えましたね。そしたら、そのボートフックで、今の状態からずっと引っ張ってやれば下へ降りてくるんです。
直也:このネットなんかもボースンが編んでるんですか?

憲二:どれですか?はい、その通りです。あれは自分がディンギー(小型ヨット)に乗っとって、セイルとマスト持って上がろうとした時にヨロヨロヨロとしたから、これはいかんと。編んどおかないと落ちる可能性がある。
Jack:みんな持ってないもんね。他の船にはなくて、ボースンの船だけ。手作りで、すごいね。
PHOTO of FLAG
憲二:子供が落ちた時にこれがあったら安心。
Jack:確かに。
直也:大型のギャングウェイのところにはネットがあるようになっている
憲二:これができる人は少ないですよ。
Jack:あれは余ったロープですか?
憲二:いや、あれは新しいロープ使ってます。ジェームズさんがよく言う、例のマットもあります。
Jack:あっ、ナポレオンマット。綺麗だな。これ3本だね。
PHOTO of Napoleon MATT
憲二:4本だよ。
Jack:あれっ、4本?
憲二:4本4本の横2つ。これは、三重なんだけど四重でやるようにすると綺麗になる。

憲二:これ、横に出ているやつはペットボトルです。
直也:フェンダーね。
憲二:ペットボトルのまわりをロープで編んである。
Jack:あれは、ペットボトルからできてる?手作りで綺麗だね。
憲二:うん。この手でね。
Jack:ちゃんと空気がフェンダーになるように?
憲二:いや、水入れるんです。水入れといて、それでここからこういう風に編んで。
Jack:ペットボトルからこうなる。面白いなあ。
憲二:ペットボトルからこういう風になる。
Jack:これ、すごいな。プラスティックも無駄にせずに。
PHOTO of SEOUL two rounds

Jack:最近は、こういう物の再利用についての意識が、アジアの国々の中でも結構高まってきてます。韓国では、ゴミ収集所の近くに物の再利用の企業のための場所ができたり、古いものを大事にしてします。自転車にしても、金属をいろんなものへ再利用するとか、そういう動きがあるんです。
憲二:自転車で思い出したけど、うちに5台自転車があるんだ。全部修理してる。
Jack:本当?偉いね。
憲二:フッフッ。パンク修理の専門家だわ。でもね、今思ったらね、練習船が自転車の修理をさせてくれた。何でか言うとね。夜間当直中は、あっちこっち行かないで舷門に立ってるでしょ。舷門で座り込んで、自転車のパンク修理してると、あっという間に4時間すぎてる。昼間はそういうわけにいかんけど、夜は、人が出入りするのを見とくときに自転車のパンク修理してたら、非常に時間を有効に使えた。
Jack:そう、私も船に乗ってるときは、そういう直すことをやってるよ。空いた時間に手を動かすと温まるし楽しいし、結構頭使うんですよね。なんか、ぼーっとして時間を無駄にするよりも全然いい。こういう物の再利用は、物だけじゃなくて人にとっても良い。
例えば、古い物を捨てたら、ダイソーへ行って100円で買っちゃうけど、人にとってもつまらないことです。こうやって手を動かして、意識して時間を無駄にしないことが、すごい意味あることだなぁと思いました。
憲二:そうそう。船に乗った若い頃から血圧が高かったんですよ。これは、もう長生きせんなと思うとったんだけど、帆船に乗って上に上がったり運動するでしょ。血圧は高いなりにも疲れるもんだからいいわけですよ。それで、機船に行った時に、機船じゃどうも太ってしまうから帆船に帰してくれって頼んだからね。
Jack:帆船の方が筋肉を使うんだね。
憲二:そういうこと。なんか、もう太ってきたら帆船に帰してくれって言った記憶がある。だから未だにこうやって元気でおれるかも。
Jack:すごいね。それで健康になったでしょ。
憲二:そうそう。2ヶ月に1回、診療所にかかって、採血してカウントするんだけど、その時に言われましたもん。どうやったらこういう結果になるんですかって?もしかしたら運動するからじゃないですかって言ったことがある。
Jack:いやー、確かに。運動しないとどんどん体が…
憲二:ドブチ海峡を越えて、アズキジマ(小豆島)を回って帰ってくると、ちょうどいいんです。1時間半くらい。健康のために非常にいいんです。
Jack:大事ですね。面白いですね。
憲二:ほんで、ツバのところが壊れて、結局これのやりすぎで壊れてしまって、今、修理に1本出してるんです。どなんしたらこんなにあるんですかって言われた。
Jack:へー。どのへんを修理したんですか?
憲二:クラッチって、オールの支点になるところ。あれが壊れてるんですよ。経年劣化もあるんだけど、こうやって漕いでるうちに、割れちゃったんですよ。
直也:あ、そうか。これ2人で漕げれるんですね。
憲二:そう、2人で漕げれるように細工したんです。だけど、3人乗れるんだわ。一番後ろに人を座らせといて。
直也:そうですね。でも、オールを持つ人はいないから、一人で漕いだら大変ですよね。
憲二:1人で漕ぐときは、梶(かじ)を出さずに後ろで漕ぐ。
直也:梶はいらない?
憲二:うん、いらない。
Jack:元々、救助艇ですか?
憲二:いや、ヨットですよ。
Jack:ヨット?
憲二:ディンギーのヨットですよ。競争艇ですよ。
Jack:競争のための?
憲二:うん。
PHOTO of DINGHEY

直也:へー。セイルは、ジブ(補助セイル)もあるんですか?
憲二:ジブはない。ディンギーだから1枚だけ。で、ビレイピン(ロープを巻きつけて固定する棒状の器具)もある。右の方にブライドルを取って、左はハリヤード。
直也:かっこいい、これ。
憲二:それはハリヤードです。それはティラーです。その足元にラダーがある。
Jack:ラダーもすごいかっこいい。これも木だ。
憲二:そうそう、木。
直也:全部揃ってたんですか?
憲二:いや、なかった。
直也:なかった?うん?
憲二:クラッチもなかったし、もうほとんどなかったんだ。
直也:全部。
憲二:うん。
直也:あっ、でもそこは?
憲二:その金具もなかった。
PHOTO of DINGHEY
直也:水漏れしてなかったんですか?
憲二:いや、水漏れが、もう強烈だった。スロープに引き上げて、ひっくり返して、シリコンで埋めていった。そうすると、あとはもう浮力で埋めてくれるから。もしも流されたときに困るからと思って、チャートもそこに入ってる。コンパスも。
直也:あっ、その筒にチャートが入ってるんですか?
憲二:うん。
直也:どこに?
憲二:チャートとコンパス、ここのチャートが入ってる。
直也:どこにその筒が?
憲二:その下。
Jack:そこか。えらいなあ。
憲二:そう、その中にチャートとコンパスが入ってるでしょ。流されても大丈夫なんよ。
PHOTO of DINGHEY
直也:オーニング(ボートを覆うカバー)は自分で作ったんですね。
憲二:そう、オーニングは自分で作った。大雨降ったら面倒だからオーニングしとけと思って。
Jack:雨が降ったら、下の水はどうするの?
憲二:雨が入ってるでしょ?後ろに座り込んで、バケツで水を取るんだ。その横に、ベラみたいのがあるでしょ?こっちの右側に白いやつが。缶を切って、細工してるのがあるでしょ?それで水をバケツに入れて捨てるんです。
Jack:これも手作りだなあ。
憲二:手作り、手作り。
Jack:昔の梶は丸いのね。
憲二:そうそう。なんでこうなってるか言ったらね。風のない時にこうやってチラーを動かすと前に進んでくれる。オール代わりになるんだ。だからそういう作りになってる。
Jack:いいね。もらったときはもう浮かない状態だった?
憲二:そうそう、ひどかった。もう水が強烈に入ってきようた。うちのお母ちゃんは埼玉の人間だから、たまたま関東へ行く時に、ちょっと西宮で降りて、ヨットハーバー寄った時に、帰りに好きなものがあったら言ってくださいと言われて。帰りにも寄ったんだわ。
これが気に入ったからって、持ってきてくれって言ったんだけど、向こうで上がってた時はスロープにひっくり返して置いてあったんだ。まさか水が漏れてるとは思わんかった。
Jack:しばらく使ってなかったかな。
憲二:そうだろうと思う。
直也:乾燥しちゃって。
憲二:そうそう。鎧のとこから水がものすごく入ってきよった。
Jack:その後で、ペンキ塗り直したんだ?
憲二:そう、全部塗り直したんだ。名前は、こんな名前じゃなかったけど、わしが「海王」にするには誰も文句言わんじゃろうと思って役場登録を海王にしてもらった。
Jack:梶もその下に入る?
憲二:あるよ。ツメがあるでしょ。舵もあってそこへ差し込めるでしょ。センターボードは、そこで前のロープを緩めたらスーッと降りてくる。今は、ひょっとしたら動かんかもしれん。練習艇か競技艇だったんだわ。ただこのボート一つしか残ってなかった。
Jack:外では雨が降って腐りやすい?
憲二:腐りやすい。特に木は。
Jack:向こうのやつ、港の目の前に木舟が置いてある。
よるいバリ(船)けいやき very rare
Jack:かっこいいですよ。ちょっと長いぐらい。
憲二:もうちょっと長くて、前が高い方が本当の昔のディンギーなんです。
Jack:きれい。友達がそこで測ってみて調べてるけどもう一回使おうと思う。
もう一個だけ聞いていいですか?次の世代に、物の再利用について、例えばノアくんとかマホちゃんにどんなことを伝えたいですか?
憲二:次の世代っていうよりも、なんていうのかな。安心・安全な時代にしてほしい。要は戦争をやってほしくない。まあ、わしらが言っても元に戻るわけじゃないけど、戦争っていうのは、もう、みなぶち壊してしまうもん。だから戦争はやめましょう。
謝辞
古谷 美穂子
花岡美優
谷口創太郎
